コメント

らむ。
2019年12月12日11:38

私も父と再構築はできないままでした。
母には、ずっと私に父の悪口を言い続けてとても嫌だったと苦情をいいましたが、一切覚えていないと言われました。今でも悪口を言っているのに!離婚するする詐欺でした。



うちは、両親ともに毒親でしたが、父にも母にもそれぞれ、情状酌量の余地を与えてよいのか、悪いのか。。。


父に対しては、後悔するだろうな、と分かっていても、一歩踏み出す余力も期待もすでにない状態でしたので。

やっぱり、無理はできないですよね。
今までの積み重ねもあるし、近づくと返り討ちにあいますしね。


たまたま、長男が孫で初めて、なぜか父に懐いていたので、電話越しに私は普段母とのみ話して電話を切ってしまうのに、いつも長男がじいじー!と呼んでくれていたおかげで、細ーくつながっていただけです。

やられていることの度合いを考えたら、とっくに縁を切りたかったのですが・・

夫家族との関係やら、色々を考えると、薄くでもつながっていたほうが、ましというのがありましたので、つながっていたので、切ろうと思えばいつでも切れると思っていました。

亡くなるまで、実際が父が亡くなった時がどう感じるのか、自分の気持ちがわかりませんでした。

良心の呵責や罪悪感から逃げきれはしませんが、自分自身を責めもせず、ベストを尽くしたと信じ、父の亡くなった顔を見たときに、ふと零れ落ちる涙とともに、幼かった時はきっと可愛がってくれたのだろうと、納得することにしました。

今となっては、どう考えても再構築をしなかったことに対しても後悔はありません。仮に再構築を使用としたときの多大なる犠牲を考えたら、選択肢にものぼりません。

仕方がないこと、です。

ただ、人が亡くなることは、人生の総決算の時なのだな、としみじみ思います。

強烈な負の中に投げ込まれると、いかに毎日の平穏な生活がかけがえのないものか、改めて実感します。

こちらこそ、まとまりのないコメントを失礼しました。

コメント、ありがとうございます^^


まな
2019年12月13日4:01

お返事ありがとうございます。

>近づくと返り討ち

まさしくそうなんです。今まで何度返り討たれてきたことか…。
どうも喉元を過ぎると忘れてしまうようです。
守るべきものは今の家族、と肝に命じていかないといけませんね。

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