虐待を生き延びた人が、配偶者に
“You are doing so much disservice by not sharing your experience.”
(経験を語らないことで、どれだけ大きな損害をこうじていることか。)
と言われ、虐待された子どもを助ける事業を始めた、というインタビュー。
最近ちょっと噛みしめることがありました。

親と温かい絆で結ばれているだろうという前提で、人は話しかけて来るものですが、
毒々しい交流を公開する気もないし、雰囲気も悪くしたくないし、
適当に演技してたんですが、これからは、もう、しーないっ。
くどくど詳細を撒き散らすことは、もちろんしませんが、
なんで軽く嘘ついてまで円満さを演技してるのか疑問に感じて来たんだもの。

異国の文化は家族第一主義なので、
それだけ結びつきの強い家族愛エピソードに触れる機会が多いの。
その中で「自分の家族好きじゃないの」ってさらっと次の話題に移って行く人や
「うちの親、不幸せな結婚35年も続けてるんだよね、ハハ」と気軽に言っている人に何度気持ち軽くなったことか。
たった2秒の素直なコメントのこの威力。
じゃあ私もそういう人のなろうっと、と開き直れる心境に至りました。

「恩知らずな娘だ」と思われるリスクを回避したくて、
いい顔するため、面倒を避けるために演技してましたが、
誰に気を遣ってたんだろ、わたし。
実の親とうまく言ってない人はそれこそ山の数ほどいるはずなんだから、
同志に「やっぱうちは少数派なんだなー。」と切ない思いさせる価値はない。
…と思うに至ったのでした。



健全な開き直りと呼んでください。


コメント

limei
2018年8月6日6:20

同感! 外国人として生きていると特に「家族と離れて寂しいでしょう」ときかれますよね。

私の場合は肉体/経済的な虐待があったわけじゃないので、深刻では無いと思うけど
だからといって、温かい絆があるかといえば皆無なので
「あまり近しくないんだよねー」ということにしています。

まな
2018年8月6日22:41

limeiさん

そうそう!どれくらい頻繁に日本に帰るの?とか家族と離れて寂しいでしょう、とかよく聞かれますよね。
久々に帰ると「ご家族と会えてどうだった?喜んでたでしょう」とか。
「あまり近しくない」っていいですね。さらっと言えるし向こうもそれ以上突っ込んでこなそう。

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