大学生は、勉強せずに、遊び呆けてるものだというのが、
一般理解ですが、私は、強制されない学び、というものに触れ、
嬉しくて、楽しくて、それはそれは、ワクワクしていました。
睡眠時間を削って、課題に取り組んでいた記憶があります。
卒業して、初めてフルタイムで始めた仕事も、大好きで。
手ごわくても、時間がかかっても、
それが苦ではなかったのです。
疲れてバタンキューしても、朝起きれば、やる気が回復していました。

今思えば、そういうのを情熱と呼ぶのでしょう。
そして、私は、わがままなまでに、ひたすらその情熱に没頭していました。
ここで、わがまま、という言葉を使ったのは、
本当に、自分のことだけしか考えてなかったから。

親元から離れて、恋人もいなくて、友人と一緒に気ままに暮らし、
健康な体と精神に恵まれ、怖いものがなかった。
自分の身ひとつ、という豪快さ、まとわりつくもののない自由さが、そこにはありました。

そして今。
そういう若い時の自分を、
お気楽だったなあと、蔑みというか、呆れるというか、半笑いで流す一方、
溢れるようにあった情熱の尻尾を失いかけているような気がして、
一抹の焦燥感を覚えるのです。

出産して仕事を変えたのですが、自分がやりたいか、という視点で探したのではなく、通勤時間とか、福利厚生で決めたので、2年経ったいまでも、イマイチしっくりこないのです。
でも条件がいいので辞められない、というのが素直な気持ちです。

子どもには迷惑でしょうが、
こういうとき、親になったんだなあ、と思います。

でも、生きている実感を与えてくれていた情熱というやつを、
失いそうで、というか、失いかけていることに、
焦る気持ちもあります。
といっても慢性的寝不足で、どうでもよくなるときもありますが。
矛盾していますが、本能のまま、子どものごはんと排泄に没頭する5年、それでいい、と思う気持ちもあります。

5年経ったら、また違った視点で、人生を振り返ることができるかな。




コメント

ブログ脳外科医
2015年10月15日12:35

若い時でないとできないことって,知的なことに関してはほとんどないと思います.
人生には色々な時期があるからそれぞれを充実させて楽しめばいいのではないでしょうか.これからプロスポーツ選手にはなれそうもないけど,科学者や芸術家や哲学者なら十分なれるんじゃないかと私は今でも思っています.

まな
2015年10月17日0:07

ブログ脳外科医さま

そうですよね。「人生にはいろいろな時期がある」
その言葉集約されていると思います。
今は、別のステージに移ったところなので、戸惑ってるのだと思います。

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