ほぼ日の大人の小論文コーナーで、最近取り上げられてるテーマが「『聞いてあげること』はよいことか?」
http://www.1101.com/essay/2014-04-16.html
敢えて聞かないであげる方が相手にも自分にも建設的なことがある、的見解なんですが、読んでて思い出すことがあるなぁ。
わたし、延々と人の話を聞いてしまうタイプなんですが、一回、パシッとお断りしたことがあるんです。
留学時代、初対面の日本人男性が、
「僕、うつ病で…」とつらい体験を語り出したとき。
「知ってる人より、知らない人の方が話しやすいことってありますよね。でも、そういうのって、話過ぎて後で疲れてしまうんですって。だから、やめときましょう。」って。
その人は「え、そうなんですか。」ってやめてくれたけど、その後お会いしたという記憶がないので、それっきりになったのかな。
そこまで言われると、向こうも居心地悪くて再会しづらかったのかもしれませんね。
相手を思いやる気持ちが全くなかったわけではないけれど、メインは自分を守るため。
敢えて聞かない、というスキルを身につけるまで、長い道のりでした。
敢えて聞かない、助けない、っていうのが難しかった時期があります。
自閉症気味の半端なく無関心な父、過干渉でコントロール欲の強い母、これまたびっくりするくらい口の悪い祖母に、知的障害がある兄という、ドラマ設定みたいな家庭で生まれ育ったので、子ども時代は楽しいどころかサバイバル。
機能不全の家庭で生まれ育って、情緒的ネグレクトをうけた人にはありがちなんですが、しっかりしすぎ、責任取りすぎ、頑張り過ぎ。
高校を卒業してすぐ家を出て、県外の大学に通い始めた時、解放感でいっぱいでした。やっほい!
でも、そのとき苦労したのが、「周りの人が幸せじゃないのは私の責任ではないから、頑張らなくてもいい」と意識して行動すること。
もちろん、失敗もありましたけどねー。
人間関係において、尽くし過ぎなところがあったので、女王様タイプとお友達になってしまったとか。
相手は尽くしまくられるのが当然、私は無意識につくしすぎるタイプなので、
次第にこっちが疲れてペースを落としたら、こっぴどく捨てられて(笑)、立ち直るのにだいぶ時間がかかりました。
いろいろ痛い目をみたおかげで、他人との距離がつかめずにどっぷり依存してくるタイプを感覚的に察知して、避けるスキルが身につきました。
だって、上手く跳ね返すスキルないもん。逃げるしかない。
アルコール中毒に陥った人は、自分はもうコントロールできない、だから一滴も飲まないし、お酒は周りに置かない、って排除するところから回復が始まるんだとか。
私の、他人の不幸せに責任を感じてしまう、という傾向も同じこと。
上手くかわせないなら、避けるしかない。負け戦だもの。
薄情な気がして心がいたんだ時期もあったけど、今は図太いです。
いい意味で、自尊心が増えたから。
避ける訓練(笑)を重ねた上で、自信を持って言えること。
初対面で、人生の重荷を語り出す人に、他者との適切な距離感をつかめる人はいない。逃げろ!
いやこれ、ほんとなの。自信があります(笑)。
見捨てられ感が強い人は、優しそうな人に目星をつけてから接近してきて、「僕/私のことを傷つけないで、捨てないでよね。こんな辛い思いをして苦しんでるんだから、それを知って捨てるあなたは非情だよ」って、予防線はりまくりで重荷をどーんと投下してきますからね。
ここで変に同情して、無理していろいろ受け止めると、後が大変。
初回できっちり線を引いとかないと、あとはひどくなる一方のことが多かったな。
疲れてこっちが疎遠にし始めると、泣いて追いかけてきたり、嫌味言われたり。
対等な関係が築けないのは友情じゃない、そんな関係、失礼だよ、って思うんだけど、相手はその感覚がつかめるスキルがないから…。お互い嫌な思いして終わるという。
依存できる相手を探しているだけのこともあるし、そういうのに付き合ってしまうと、とことん消費されてしまうタイプだからね、私。
それなら最初から、距離をおくほうがお互いのためだと悟りました。
「包帯を巻いてやれないのであれば、むやみに他人の傷に触れてはいけない」
ほんと、そうだよな、と思います。
http://www.1101.com/essay/2014-04-16.html
敢えて聞かないであげる方が相手にも自分にも建設的なことがある、的見解なんですが、読んでて思い出すことがあるなぁ。
わたし、延々と人の話を聞いてしまうタイプなんですが、一回、パシッとお断りしたことがあるんです。
留学時代、初対面の日本人男性が、
「僕、うつ病で…」とつらい体験を語り出したとき。
「知ってる人より、知らない人の方が話しやすいことってありますよね。でも、そういうのって、話過ぎて後で疲れてしまうんですって。だから、やめときましょう。」って。
その人は「え、そうなんですか。」ってやめてくれたけど、その後お会いしたという記憶がないので、それっきりになったのかな。
そこまで言われると、向こうも居心地悪くて再会しづらかったのかもしれませんね。
相手を思いやる気持ちが全くなかったわけではないけれど、メインは自分を守るため。
敢えて聞かない、というスキルを身につけるまで、長い道のりでした。
敢えて聞かない、助けない、っていうのが難しかった時期があります。
自閉症気味の半端なく無関心な父、過干渉でコントロール欲の強い母、これまたびっくりするくらい口の悪い祖母に、知的障害がある兄という、ドラマ設定みたいな家庭で生まれ育ったので、子ども時代は楽しいどころかサバイバル。
機能不全の家庭で生まれ育って、情緒的ネグレクトをうけた人にはありがちなんですが、しっかりしすぎ、責任取りすぎ、頑張り過ぎ。
高校を卒業してすぐ家を出て、県外の大学に通い始めた時、解放感でいっぱいでした。やっほい!
でも、そのとき苦労したのが、「周りの人が幸せじゃないのは私の責任ではないから、頑張らなくてもいい」と意識して行動すること。
もちろん、失敗もありましたけどねー。
人間関係において、尽くし過ぎなところがあったので、女王様タイプとお友達になってしまったとか。
相手は尽くしまくられるのが当然、私は無意識につくしすぎるタイプなので、
次第にこっちが疲れてペースを落としたら、こっぴどく捨てられて(笑)、立ち直るのにだいぶ時間がかかりました。
いろいろ痛い目をみたおかげで、他人との距離がつかめずにどっぷり依存してくるタイプを感覚的に察知して、避けるスキルが身につきました。
だって、上手く跳ね返すスキルないもん。逃げるしかない。
アルコール中毒に陥った人は、自分はもうコントロールできない、だから一滴も飲まないし、お酒は周りに置かない、って排除するところから回復が始まるんだとか。
私の、他人の不幸せに責任を感じてしまう、という傾向も同じこと。
上手くかわせないなら、避けるしかない。負け戦だもの。
薄情な気がして心がいたんだ時期もあったけど、今は図太いです。
いい意味で、自尊心が増えたから。
避ける訓練(笑)を重ねた上で、自信を持って言えること。
初対面で、人生の重荷を語り出す人に、他者との適切な距離感をつかめる人はいない。逃げろ!
いやこれ、ほんとなの。自信があります(笑)。
見捨てられ感が強い人は、優しそうな人に目星をつけてから接近してきて、「僕/私のことを傷つけないで、捨てないでよね。こんな辛い思いをして苦しんでるんだから、それを知って捨てるあなたは非情だよ」って、予防線はりまくりで重荷をどーんと投下してきますからね。
ここで変に同情して、無理していろいろ受け止めると、後が大変。
初回できっちり線を引いとかないと、あとはひどくなる一方のことが多かったな。
疲れてこっちが疎遠にし始めると、泣いて追いかけてきたり、嫌味言われたり。
対等な関係が築けないのは友情じゃない、そんな関係、失礼だよ、って思うんだけど、相手はその感覚がつかめるスキルがないから…。お互い嫌な思いして終わるという。
依存できる相手を探しているだけのこともあるし、そういうのに付き合ってしまうと、とことん消費されてしまうタイプだからね、私。
それなら最初から、距離をおくほうがお互いのためだと悟りました。
「包帯を巻いてやれないのであれば、むやみに他人の傷に触れてはいけない」
ほんと、そうだよな、と思います。
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