子どもの頃、情緒的ネグレクトを受けて育った私。
小さい頃はいろんな気持ちを押し殺して生き延びてきたんですが、
不思議なことに、最近まで忘れてたんですよねぇ。
いや、忘れてないか。思い出さないようにしたり、捻じ曲げて解釈したりしてたのかな。

最近、冷静に子ども時代を描写することがあったんですが、
「まあ、なんてひどい。…って、自分の子ども時代だって!」とつっこむ私。
やっと腰をあげて取り組むことにしたんですが、不思議な感じですね。

「あなたの子ども時代を考えると、怖くなるのは納得できますよ。」と言われても、外国語を聞いたような遠い印象しかなかったなぁ。
ぼんやりした後、ワンテンポずれて訪れるのは、自分に対するいらだちかな。
育ちを言い訳にしたくはないから。
「だから」を「にもかかわらず」に変えるべきだと思うから。
それをまだできてない自分に対する、歯がゆさがあるんだと思います。

コメント

ネネ
ネネ
2009年10月6日14:40

情緒的…

私は自分のしたいことを押し殺して生きてきたし色々未だに母親には言えないですね。。
なんか凄いわかります。。

今日子
2009年10月6日21:17

私は言い訳人生だなあ・・・反省。
いま大事な人と出会って、たまたまその人とは共有できる感情があったので、2人で育ち直してる感じです。
このことに関しては、仕事以上に「焦らないこと」が命題になるんじゃないかと思います。
お互い、ふんばろー!!

まな
2009年10月7日10:45

おふたりからコメントいただいて、同じ課題を抱えている人は少なくないんだなーと心強く思いました。ふんばっていきまっしょい!


>ネネ姉さん

私も言えなかったし言わなかったタイプなんで、母親にいろんなことを言えるのが普通なの?それとも言えないほうが大多数?と最近「何が普通なのか」疑問になってきました。うーん…。ネネさんもそうだったんですね。


>今日子さん

私も、母親から与えられたかったものを与えてくれる友人に出会えて、基本的信頼を学びなおした感じです。
あせらないことが命題、かぁー。そうですよね、
がんばるんじゃなくて、ふんばっていきます!おー!

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