ストーカーさんからの年刊メール
2008年5月26日 マイニチ
3年前くらいに、ストーカーに苦しんだことがあります。
ちょっとした狂気を感じるストーキングでした。
一番狂気を感じたのは、甘い言葉を言いながら、はにかむ彼が、いつも、私を見てなかったこと。
ぞっとしている私に気付くこともなければ、拒絶の言葉を返す私を理解はもちろん、認知もしてない様子でした。
異様な感覚でした。
彼の中の私に、話しかけているだけなんだ…と、わかったときの恐怖。
正直、人間としての尊厳みたいなものも、傷ついた気がしました。
「この人は、ほんとの私をわかろうとしていないし、気づきたくもないみたい。私がどう感じていようが、どうでもいいんだ。」って感じましたもの。
結局、周りの人の協力もあって、やりすぎたと彼が認めたのが、ストーカーが始まって半年を過ぎたころのこと。
「謝ります。友達でいてください。」という彼のオファーを、私はお断りしました。
勇気を出して、恐怖心が根強く残っていることを伝えて、連絡をしてこないでほしいとお伝えしました。
それから2年半。
毎年、同じ時期に、1通だけメールが来るんですよ。
文面はいつも同じです。
「もう一度友達に戻れませんか。いまでもあなたのことを大切な友人だと思っています。あなたの幸せを願っています。」
実質3か月の表面的な交流。
そこから、3年続く、共有できない認知と執着。
今年は、恐怖と不快感を通り越して、なぜ?という気持ちです。
あきらめられたら、どうでもよくなれたら、手放すことができたら、楽になれるんだよ?
そのオプションは、彼にはまだないようです。
私の気持ちや判断を尊重するという記述もそのままでした。
「変わらないなぁ、その言葉。
当時、その言葉を信用して、何度もがっかりしたの。
ごめんね、私は、今年も返信しないよ。
私とあなたの友達の定義は、まだ、全然違うみたいだから。」
…彼に言うことがあるとすれば、そんなとこですね。
ちなみに、
今年はちょっと一味違いました。
「実は、去年、メールを送った直後、街で僕の目の前を通り過ぎるまなを見かけたよ。僕は声をかけなかった。まだ友達として受け入れてくれないだろうと思ったから。」
ひえーー!私を見てたの!!
ちょっと、ぞっとしました。
ちょっとした狂気を感じるストーキングでした。
一番狂気を感じたのは、甘い言葉を言いながら、はにかむ彼が、いつも、私を見てなかったこと。
ぞっとしている私に気付くこともなければ、拒絶の言葉を返す私を理解はもちろん、認知もしてない様子でした。
異様な感覚でした。
彼の中の私に、話しかけているだけなんだ…と、わかったときの恐怖。
正直、人間としての尊厳みたいなものも、傷ついた気がしました。
「この人は、ほんとの私をわかろうとしていないし、気づきたくもないみたい。私がどう感じていようが、どうでもいいんだ。」って感じましたもの。
結局、周りの人の協力もあって、やりすぎたと彼が認めたのが、ストーカーが始まって半年を過ぎたころのこと。
「謝ります。友達でいてください。」という彼のオファーを、私はお断りしました。
勇気を出して、恐怖心が根強く残っていることを伝えて、連絡をしてこないでほしいとお伝えしました。
それから2年半。
毎年、同じ時期に、1通だけメールが来るんですよ。
文面はいつも同じです。
「もう一度友達に戻れませんか。いまでもあなたのことを大切な友人だと思っています。あなたの幸せを願っています。」
実質3か月の表面的な交流。
そこから、3年続く、共有できない認知と執着。
今年は、恐怖と不快感を通り越して、なぜ?という気持ちです。
あきらめられたら、どうでもよくなれたら、手放すことができたら、楽になれるんだよ?
そのオプションは、彼にはまだないようです。
私の気持ちや判断を尊重するという記述もそのままでした。
「変わらないなぁ、その言葉。
当時、その言葉を信用して、何度もがっかりしたの。
ごめんね、私は、今年も返信しないよ。
私とあなたの友達の定義は、まだ、全然違うみたいだから。」
…彼に言うことがあるとすれば、そんなとこですね。
ちなみに、
今年はちょっと一味違いました。
「実は、去年、メールを送った直後、街で僕の目の前を通り過ぎるまなを見かけたよ。僕は声をかけなかった。まだ友達として受け入れてくれないだろうと思ったから。」
ひえーー!私を見てたの!!
ちょっと、ぞっとしました。
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