情熱?

2008年1月1日 ヒトリゴト
混乱と恐怖、そしてそれにも侵されない情熱。
お決まりの思考をいつもより濃くプロセスした日。

家族は勿論、近所の人、親戚、同級生、古い友人に会っていると、少し混乱します。
故郷の外で積み重ねてきた生活が「まがいもの」ぽく感じるんですよ。
あれ?私、今までどこにいた?こっちのほうがよっぽど真実っぽい、って。

今回は、いろんな変化をみたので余計混乱。
私が選ばなかった人生の美しさを見ました。
この小さな町で知人や家族はいろんなものを積み重ねて熟成させていたんだなあと思い、そして、そういう彼・彼女の人生が、美しくて高尚で着実なものに感じました。
そして、それは、私が持っているものではない、と。

そしてもうひとつ強く感じる感情は恐怖心。
不謹慎ですが、「親はいつまででも生きているわけではない」と。

混乱も恐怖心も、私の平常心を乱すくらい強力です。
でも。
文字通り歯をくいしばってでも、私は異国に帰ると思います。
どうしても成し遂げたい夢があるから。

日本には、やさしく私を守ってくれるものも愛着もある。
それらを失う恐怖心もある。
それでも、ここではないところを選ばせる、この燃える決意。
岡本太郎さんの言葉を借りると、「自分の胸の奥深いところに神聖な火が燃えているという、動かし難い感覚」っていうやつですね。
情熱、ってこういうのをいうのかな。

こいつがいる以上、安定とか保護とか選べないんですよ。
なんてこと。

やっかいだな、と思うんですけど、もう諦めました。
幼いころからの付き合いですからね。
消そうとしても消せないの、わかってますから。

家族や安定を犠牲にする価値が、その夢にはあるのか?と言われると、少しひるむ気持ちもありますが、
それでも私は、その夢をとると思います。
過去にさかのぼることができても、同じ選択をするし、今ならまだ間に合うといわれても、軌道修正はしない。
愚かだろうが、親不孝だろうが、泣いてしまおうが。

なんだこれはー。
業か??

そんな動揺を隠したまま、親不孝を母に謝ったのですが、
そのときの母の対応は一枚上手でしたね。
「誰でもね、どうあがいても、親不孝だったって思っちゃうのよ。私もそうだし。人生、そういうものなのよね」的、達観したコメントを返し、「まなは、それでもやりたいことがあるんでしょう。それでいいのよ。」と、そこでどうして悩んでるわけ?というかの如く、さっぱりしてました。

母、強し。

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